(3)Day 2 前編 ルート66の聖地セリグマン【2021秋旅】

Day 2 10月3日(日)

【スケジュール】
べアリゾナ(Bearizona)への日帰り取材
主な立ち寄り場所&目的地
・ルート66の街セリグマン(Seligman)
・グランドキャニオン近くの動物園べアリゾナ(Bearizona)

早朝のラスベガス

とても美しいラスベガスの朝。砂漠特有の乾燥した空気に浮かび上がる山の稜線はまるで影絵のようで、夜明けの少し前に窓の外を眺めるとホテルエリアの建物越しにそんな影絵がくっきりと見えます。夜のギラギラとした喧騒の中では想像できない大自然の近さが垣間見え、この朝の美しい景色は私がラスベガスに何年も住み続けた大きな理由の一つでした。年間を通して降雨量の少ないラスベガスでは日の出の時間帯に雨が降っていることは非常に稀で、たいていの朝にはこんな朝焼けが見られます。ただモンスーンの季節には時折雨の気配で目が覚めることがあり、特に数年に一度の「音が鳴るくらい激しい雨が降る朝」には日本を思わせるその雨音の中で1秒でも長くまどろみたくて一生懸命に二度寝をむさぼったことが思い出されます。

上の写真は宿泊しているハラーズホテルの駐車場から見た観覧車「ハイローラー(High Roller)」越しの朝焼けです。シンガポールフライヤーの丸パクリのような形ですが2014年の完成時にそのシンガポールフライヤーから世界最大の座を奪っており、この8年ですっかりラスベガスの顔になりました。ただ、2021年10月21日のアイン・ドバイのオープンによって世界一の座はドバイへと移動。現在は世界で2番目に大きな観覧車としてラスベガスを彩っています。

さて、ラスベガスに到着して一夜が明けたこの日は「べアリゾナ(Bearizona)」という動物園を取材するためにアリゾナ州ウィリアムズ(Williams)へと向かいます。大手旅行会社のマネージャーさん(兼大好きなお友達)をラスベガス内で拾って、そのままアリゾナ州ウィリアムズまでお喋りづくしの女2人旅。さらに現地でセドナ観光局に勤めるこれまた仲良しのお友達と合流をして、取材がてら3人でべアリゾナを満喫しようという計画です。

2年ぶりの左ハンドルとアメリカの高速道路のハイスピード、逆の車線、交通ルールの細かな違いなど実際に運転するまでは諸々少し不安があったのですが、蓋を開ければ全く問題なく以前のように運転することができました。ただ毎度のことなのですがどうもウィンカーだけはしょっちゅう間違えてワイパーを動かし、こればっかりはどんなに頑張っても1週間ほど治りませんでした。逆走は絶対にしないのにどうしてだろうと自分の指先の反応の鈍さに辟易しつつ、カラッカラの砂漠でワイパーをブンブン動かしながらラスベガスを出発です。

本日のドライブルート

【10/3往路ドライブルート】
ラスベガス出発→US93を南へ1時間45分→キングマン(Kingman)で給油休憩→I-40を東へ1時間→セリグマン(Seligman)でルート66を撮影→I-40を東へ45分→べアリゾナ(Bearizona)到着

ラスベガスからべアリゾナへは国道と州間高速道路を走り繋いで片道約365km、往復約730kmの道のりです。休みなく走ると片道3時間半ほどで着く距離ですが途中キングマンという町で給油休憩を挟み、更にキングマンから1時間進んだところにあるセリグマンでは小休止がてら遊ぶ計画なので、行きは5時間ほどの移動を見込んでいます。7時にラスベガスを出発し12時前に現地に着いてランチという計画です。ちなみにこのルートはラスベガスを拠点にグランドキャニオン国立公園やセドナを目指すルートと全く同じ道を走ります。今回の目的地べアリゾナがあるウィリアムズという町から北へ1時間ほど走るとグランドキャニオン国立公園サウスリムの入口に、南東へ1時間半ほど走るとセドナに到着します。地図上、右上から真ん中にかけて大きく横たわる地球の裂け目がグランドキャニオンです。

*US93のUSやI-40のIの意味
アメリカでは州を跨ぐ道路の表記として主に2つの記号が使われています。一つは国道(U.S. Route)を表す「US」、もう一つは州間高速道路(Interstate Highway)を表す「I」です。国道には信号がありますが州間高速道路には基本信号がなく、いわゆるフリーウェイと呼ばれる「止まらずに走ることのできる道路」は州間高速道路のことを指しています。高速道路の番号として南北に走る道には奇数が、東西に走る道には偶数がそれぞれ割り振られているので初めて走る道でも道路の番号からおおよその進行方向を予測することができます。このUS○○とI-○○の標識、そして奇数と偶数のルールはアメリカの道を走る上で欠かせない知識です。

ルート66の町セリグマンへ

ラスベガスを出発しUS93を1時間45分ほど南に下るとアリゾナ州キングマン(Kingman)に着きます。キングマンはラスベガス方面から入ってくるUS93とカリフォルニア州とノースカロライナ州とを結ぶI-40とが出会う交通の要所で、ラスベガスからグランドキャニオンやセドナに向かう時には給油やお手洗い休憩をするのにとても便利な町です。

キングマンでの休憩が済んだらI-40に乗り、東に向かって1時間ほど走るとセリグマン(Seligman)という町に到着します。セリグマンはかつての国道『ルート66(Route 66)』上にある、ノスタルジックな雰囲気を色濃く残すとても可愛らしい町です。往路でも復路でもいいのでグランドキャニオンやセドナを訪れる時には絶対に立ち寄りたい場所ですし、今回の旅でもしっかりと寄り道をして2年ぶりのセリグマンを満喫します。

I-40を降りてルート66へと車を進めると大きな看板が目に飛び込んできます。『World’s Largest Route 66 Sign(世界一大きなルート66の看板)』と勝手に呼ばれているこの看板ですが、実際はイリノイ州スプリングフィールドにある博物館に飾られているものが世界最大です。まあコチラの看板もなかなか素敵ですし、何よりアリゾナの青い空によく映える!というわけで、時間があったらぜひ車を停めたいところです。

看板の両脇に映画カーズの主人公ライトニング・マックィーンとその親友メーターが可愛らしく描かれています。セリグマンの町を歩いているとあちこちでカーズのキャラクター達と出会えるのですが、これは映画の舞台である架空の町「ラジエータースプリングス(Ragiator Springs)」のモデルがここセリグマンだからなのです。

そもそもルート66とはアメリカ初の国道計画の一部として敷かれた国道で、正式名称をU.S. Route 66(国道66号線)と言います。1926年の開通から1985年の廃線までの59年間イリノイ州シカゴからカリフォルニア州サンタモニカまでの3,755kmを繋いだこの大陸横断道路は、西海岸への人口流入時代に多くの人々を東から西へと運び、「ザ・メイン・ストリート・オブ・アメリカ(The Main Street of America)」や「ザ・マザー・ロード(The Mother Road)」などと呼ばれて多くの人々に親しまれました。

1950年代の後半に入ると連邦補助高速道路法が制定されたことをきっかけにアメリカ中に州間高速道路が整備されていきます。最低でも片側2車線が担保され速いスピードで走行できる州間高速道路は当時飛躍的な発展を遂げていたアメリカの車社会のニーズに完全にマッチし、ルート66の大陸横断道路としての役割は徐々に州間高速道路に取って代わられました。

通過する車の数が減るに連れて立ち寄りや宿泊の客が激減したルート66沿線の町々は、一つまた一つと廃れていきます。特にアリゾナ州キングマンからオクラホマ州オクラホマシティまでが重複する州間高速道路40号線の開通はなんとか持ち堪えていた町にも大打撃を与え、通行する車がほとんどいなくなったルート66は1985年に正式に廃線となり、その役目を終え地図から姿を消しました。

セリグマンを歩く

さて、そんな廃線の憂き目にあったルート66でありセリグマンですが、映画カーズの舞台となるような出来事は州間高速道路40号線の開通後に起こります。特筆すべきは『モデルになったのは町の景観だけでなくストーリーの土台となる歴史を含めて』という事実なのですがこれについてはその土台の歴史に大きく関わる「エンジェルさん」というお爺さんと一緒に紹介することにして、もう少し町の景観を見ていきます。

先ほどの大きな看板の横に車を停めてルート66を対岸へ渡ります。するとまたなんともノスタルジックな良い雰囲気が広がっています。

道を渡って最初に目に飛び込んでくるのがこの「JAIL」の文字。セリグマンがまだセリグマンと名付けられる前に使われていた本物の牢獄です。中に入ると、光取りの窓がない息苦しい空間や何に使ったのか想像したくもない巨大な両轢きノコギリなど背筋がゾクッとする光景と出会えます。看板に「Arizona Territorial Jail」とあるのは1860年当時アリゾナはまだ準州(Territory)であり州(State)ではなかったからです。アリゾナが州に格上げされたのは1912年のことでこれは50州中48番目。残りはアラスカとハワイだけなので、アリゾナはアメリカ本土で合衆国に正式加盟した最後の州ということになります。

牢獄の横にはこんな建物も。コチラはかつての西部の街を再現したレプリカなのですが、レプリカ自体が古すぎてもはや本物に見えてきます。最近塗り直されたのか以前より色が鮮やかになっていてこの日の青空によく映えていました。残念ながら中に入ることはできませんが、なんだかいい空気感でブラブラしているだけで楽しくなります。

続いて牢獄の隣にある「ロードキルカフェ(The Road Kill Cafe)」の巨大タンク。「You Kill It We Grill It(あなたが仕留めて私たちが調理します)」とありますが、この辺りに限らずグランドサークルエリアは七面鳥が自生しているので、当時は車で走っていたらはねてしまうこともしょっちゅうだっただろうな・・・なんて考えるとこのナイフとフォークを持った七面鳥さんの運命に何とも哀愁を感じます。

ロードキルカフェは現在もレストランとして営業しています。コロナ禍の営業時間は要確認ですが、通常だとサンクスギビングとクリスマス以外は毎日営業しているパワフルなレストランです。昔ながらの肉肉しい料理が売りで、お店の方におすすめを聞くと「炭火焼きハンバーガー、ステーキ、そしてバッファローバーガー!」と即答されます。

大陸横断鉄道

再び道を渡って大きな看板の裏手に回ると大陸横断鉄道の線路があります。町の南側を通る線路上を一日何便もの列車がたくさんの物資と共に通過していきます。牢獄のところで “セリグマンがまだセリグマンと名付けられる前の・・・” と書きましたが、当時のセリグマンはフェニックス方面から入ってくる支線とこの本線とが合流するジャンクションの町として「プレスコットジャンクション(Prescott Junction)」と呼ばれていました。

柵などが一切ない線路周り、列車の気配に注意しつつ足を踏み入れると気分はまるでスタンド・バイ・ミーです。先が蜃気楼に揺らぐほど真っ直ぐに敷かれたレールに広大なアメリカを感じます。遠くからやってくる列車が線路を揺らす音に耳をそばだてたり、時折鳴らされる汽笛が町中に響き渡るのを体いっぱいに感じるのはなんとも良い時間です。通過する列車に手を振ると運転士さんが手を振りかえしてくれたり汽笛を鳴らしてくれたりと、そんな一瞬の交流がとても愛おしいのです。

線路の近くにはラジエータースプリングスを描いたこんな納屋も。

あまりに上手すぎて圧倒されたのですが、よく見るとハッシュタグが書いてあったので検索してみたところ「アリゾナスプレーアートレボリューション(Arizona Spray Art Revolution)」というところが手がけた作品の様でした。さすがはプロの仕事、メーターもマックィーンも生き生きし過ぎていて思わず本物のアニメーターさんが書いたのかな・・・と勘繰ってしまいました。

いやあ・・・いい、とてもいいです。
この壁画大好きです。

セリグマンは昔からノスタルジックで可愛らしい雰囲気に溢れる町ではあったのですが、最近は新しい絵や壁画が増えて更に鮮やかになりました。以前と変わらない建物もよく見たら綺麗に塗り直されていて、町全体がカラフルな輝きを増していました。町の裏側をすみずみまで歩き回る機会はなかなか無いのですが、次回は裏道散策マストだなと強く感じるくらい街全体の雰囲気がアップデートされていました。

エンジェルさんのギフトショップ

ここは「Angel & Vilma Delgadillo’s Original Route 66 Gift Shop」という、セリグマンで最も有名なギフトショップです。通称「エンジェルさんのお店」や「エンジェルさんのギフトショップ」、そして元々のご商売にちなんで「エンジェルさんの床屋さん」などと呼ばれているこのお店を目指して世界中からたくさんの人がセリグマンにやってきます。グランドキャニオンやセドナへ向かう道中には他にもいくつかルート66沿いの町が点在しているのですが、どの国のツアーかに関わらず皆エンジェルさんのギフトショップを訪れる為にほぼ必ずセリグマンで高速道路を降ります。

ドアの横に等身大パネルが置かれていますが、こちらはエンジェルさんの近影です。ご高齢になられた現在はお店に立たれることが少なくなり、エンジェルさんに会えなかった訪問客の為に数年前から置かれるようになりました。

今でこそお店で会える機会が減ったエンジェルさんですが、私が現役でガイドをしていた頃は頻繁にお顔を見ることが出来ました。小さな木のドアを押し開けるとすぐ右に置いてあった小ぶりの二脚の椅子のうち一脚がエンジェルさんの定位置。近所のお仲間やバスドライバーさんをもう一つの椅子に座らせて、おしゃべりを楽しみながら次から次へと押し寄せる人波の全てに笑顔で挨拶をされていました。人波なんて大袈裟に聞こえるかもしれませんがグランドキャニオンへの日帰りツアーはラスベガスを拠点にする旅行会社にとって主力のコース。世界中のツアーが分刻みで大型バスをバンバン乗り付け、この小さいお店に常時50人以上が鮨詰めという、毎日が活気にあふれた最高のカオスでした。

エンジェルさんのお店には私のガイド時代の思い出がたくさん詰まっています。今まで数えたことがなかったのですが、日帰りか宿泊かに関わらずグランドキャニオンのツアーはほぼ必ずセリグマンに立ち寄るので、グランドキャニオンに1000回以上立っている私はセリグマンにも1000回以上来ていることになるんだな・・・と考えると「そりゃ思い出もいっぱいだよね」と感慨深いです。

ラスベガスを拠点にグランドサークルのガイドを始めると、まずトレーニングを受けるのがグランドキャニオン国立公園の日帰りツアーです。頭にヘッドセットマイクを着けて案内をしながらバンサイズの車両を運転し、エンジェルさんのギフトショップに立ち寄ってからグランドキャニオンを目指すコースです。今でこそ息を吐くように40号線の出口を降りることが出来ますが、初めの頃は案内と安全運転だけで精一杯。出口番号を何度も確認しながらセリグマンで高速を降り、今日はエンジェルさんはいるのかな?ご家族の誰がお店に立っているのかな・・・などとドキドキしながらお店を目指していたことを思い出します。慣れてくると鮨詰めカオスな店内をエンジェルさんの娘さんたちや娘婿さんと一緒に捌いていくのがとても楽しくなり、気がつけば家族のように扱われ、忙しいとお店を手伝わされたりしました。今はあまり思い出せませんが、7ヶ国語くらいで「並んで!」とか「トイレこっち」の単語は言えていた気がします。特に長女のミルナは軍隊の隊長のように人を使うので、その要望(命令?)に応えて欧州や中南米、そしてアジアからのお客さまを捌いていくのはとても楽しかったです。自分のお客さまを案内し、写真を撮って・・・としながらこんなことをしていたのですから、当時の私はなかなか動けていたようです。

ガイド時代の私には一つ冬のジンクスがありました。それは『エンジェルさんに会えた日はどんなに大雪でも絶対にグランドキャニオンが見える』というものです。グランドキャニオンでは標高2200mの地点に立って峡谷を見下ろすので、稀に雪雲が渓谷にかかってしまうとグランドキャニオンにたどり着けても雪雲に阻まれて全く谷が見えないことがあります。そんな微妙な天候の日でもエンジェルさんに会えた日は100%渓谷が見えたので、雪の日は特に「今日お店にいてくれるといいな〜」と祈りながら運転をしていました。エンジェルさんは忙しい日も暇な日も必ず、お店を出発する私の手を両手で上下から包み込んで「Be safe.」と笑顔で送り出してくれていました。背が高く、大きなゴツゴツとした温かいエンジェルさんの手で包んでもらうと、なんだか全てのことが絶対に大丈夫と思えて私にとってお守りのような大事な儀式になっていました。夏の焼け付くような暑さの日も、暴風の日も、スコールの日も、そして雪の日も、エンジェルさんのBe Safeに守られていた私はとても幸せ者だったなと思います。

エンジェルさんと映画カーズ

さて改めて、この笑顔が素敵なお爺さんがエンジェル デルガディーヨさん(Mr. Angel Delgadillo)です。1927年4月19日にセリグマンで誕生されました。2022年の今年で95歳になられるとっても元気なおじいちゃんです。

1926年にシカゴで開通したルート66がセリグマンまで延伸した1927年に生まれたエンジェルさんは、文字通りルート66と共に生まれ、世界大恐慌の時代も第二次世界大戦の時代もルート66と共に生きてこられた方です。子供の頃はルート66を通る車のライトで影絵をして遊んでいたのがとても楽しかったそうで、私はエンジェルさんが時折してくれるこの思い出話がとても好きでした。理髪師の資格を取り、少し奥まったところにあった理髪店をルート66沿いの現在のギフトショップの位置に移転させたのが1972年。以降、50年間ずっとこの地でルート66を走る人たちを迎えてくれています。

さて先ほど少し触れたルート66が廃線になるまでの歴史の中で、州間高速道路40号線がセリグマンまで延伸された1978年9月22日はセリグマンにとって最も辛く悲しい日となりました。ルート66を介してセリグマンを通る車の流れが完全に止まってしまったからです。エンジェルさんの理髪店をはじめ、セリグマンにあったすべてのビジネスの時が止まり、のちのインタビューの中でエンジェルさんはその日のことを『世界が私たちのことを忘れてしまった』と表現しています。

映画カーズの中で主人公マックィーンが迷い込んでしまったルート66沿いの廃村「ラジエータースプリングス(Radiator Springs)」には、昔ながらの商売を細々と営みながら滅多にしか通らない車を心待ちにする車たちが暮らしています。そしてそんなたまに通る車も州間高速道路への道を尋ねるばかりで、まるでそこにラジエータースプリングスが存在していないかの様に振る舞います。荒んでしまったラジエータースプリングスに暮らす車たちもまた自分達のことを『世界が私たちのことを忘れてしまった』と感じていて、これはカーズを製作したピクサーのジョン・ラセター監督がエンジェルさんとのインタビューの中で特に影響を受けた物語の土台であり、ラジエータースプリングスのストーリーの根幹となっています。

ルート66が地図から消え、自分達の生活をどう守るかを必死で考えなければいけなかった1980年代後半、エンジェルさんは時折通る車のドライバーたちと話をする中で大きな「何か」を感じたそうです。皆一様にかつてルート66を旅した時の思い出を楽しそうに語り、30〜40年代にカリフォルニアに引っ越したときのことや50〜60年代の家族旅行でルート66を走ったのが懐かしいという思い出などは、どれもかつてのルート66の全盛期を彷彿とさせる活気に満ちた話でした。エンジェルさんは彼らがルート66を懐かしんでいると感じ、時間に急くことなくのんびりとドライブしていた頃の思い出こそセリグマンが抱えている問題の答えかもしれないと思い至りました。

『ルート66は明らかにアメリカの歴史の一部であり、人々はそれを懐かしんでいる』そう確信したエンジェルさんは、アリゾナ州政府がルート66を歴史的街道として保護すれば地図から消えてしまったルート66を再び地図上に記載させることもできるし、旅行者はこの忘れられた小さな町を再び思い出すだろうと考えました。そしてよりのんびりとした、より懐かしい、そしてより景色の良いルートを選択するだろうと考えたのです。エンジェルさんは何年も前からルート66を旧街道に制定するためのインスピレーションを語ってはいましたが町の関心は低く、多くの人は滅びゆくセリグマンの床屋がアリゾナ州を説得するのは無理だろうと感じていたそうです。ただエンジェルさんは大恐慌の時代の中であきらめない心を育てられた不屈の人であり、セリグマンを通る車の数を増やすことを『家族と地域の存続をかけた戦い』だと考えていたので、その後近隣のルート66沿いの町々に働きかけることで少しずつ風向きを変えていきます。

エンジェルさんと奥様のヴィルマさんはアリゾナ州北西部のルート66沿いの町を巡り『ルート66を歴史的旧街道にしてそれぞれの町への旅を促進しよう』という活動への協力を依頼して回りました。多くの努力の結果1987年2月に「Historic Route 66 Association of Arizona(アリゾナ州歴史的旧街道ルート66協会)」の設立に成功すると、協会はアリゾナ州政府に対し旧ルート66沿いの町の窮状やルート66への観光客の関心について、署名活動や熱心な手紙などを通して何度も訴えかけました。アリゾナ州政府から「歴史的旧街道に認定するためには、各郡の放置された旧道を州の基準まで改善する必要がある」との通達があったことから、モハビ、ヤバパイ、ココニノ各郡の監督委員会やアリゾナ州議会と粘り強く交渉をし、道を修繕させることに成功します。その結果1987年11月、アリゾナ州はセリグマンからキングマンまでの旧ルート66区間を「Historic Route 66(歴史的旧街道ルート66)」と命名し、道は再び地図に記載されることになりました。その後すぐにキングマンからカリフォルニア州境までの区間も歴史的旧街道として地図に復活。アリゾナ州は旧ルート66を歴史的旧街道として159マイル保存することに成功し、途切れることのないルート66として全米で最も長い距離を残すことになりました。

歴史的旧街道としてルート66が地図上に復活を遂げるとオールドファンや親世代から話を聞いていた新しい世代がこぞってこの道を走る様になり、古き良きアメリカをそのまま感じることのできる道としてその人気は世界中へと広がっていきました。アリゾナ州の成功に追随する形で旧ルート66が通る残りの州も次々と道の保全と保護に乗り出し、エンジェルさんが強く感じていた『ルート66は明らかにアメリカの歴史の一部であり、人々はそれを懐かしんでいる』が現実のものであることが証明されました。ルート66を復活させた人物としてエンジェルさんは『The Guardian Angel of Route 66(ルート66の守り神)』と呼ばれるようになり、ルート66に纏わる人物の中で最も有名な方の一人となりました。

映画カーズの中ではマックィーンがラジエータースプリングスにもたらしたさまざまな影響によってガタガタだった道は舗装され、壊れたネオンに再び光が灯り、車たちに喜びと活気が戻ります。エンディングロールではルート66が地図上に復活し、たくさんの車が州間高速道路からルート66へと足を伸ばしてラジエータースプリングスで楽しく過ごす様子が描かれています。エンジェルさんの勇気と行動によって再び多くの人たちが訪れることになったセリグマンをはじめとする沿線の町の人たちもきっとこんな風に喜びにあふれていたのかなと思うと、カーズという映画をまた違った感慨と共に見ることができます。思わずホロっと来たりして、エンジェルさんって本当にすごいことを成し遂げたお爺ちゃんなんだなと胸が熱くなります。カーズにはグランドサークル全体に広がる壮大な赤土の世界やコロラド川の景色も出てきます。マックィーンが映画の中で何度も心を揺さぶられるあの感覚は初めてグランドサークルを訪れた時に包まれる感動や感覚にとても似ていて懐かしくなります。

ちなみにラジエータースプリングスという名前や渓谷の景色などは近所のピーチスプリングス(Peach Springs)から取られており、カフェやモーテルそして登場キャラクターのモデルは他の州に現存する建物や人物からインスピレーションが得られたとのこと。私自身は格段オールドファンというわけではないのですがセリグマンに大切な縁ができたので、いつか現存するルート66を走破して他の州の景色もたくさん見ることができたらと思っています。できれば若いうちに実現できたらいいなあ・・・

ギフトショップ店内とモリシオ

さて、お店に入ると少しきしみを感じる歩き慣れた床に心が躍ります。エンジェルさんの娘婿のモリシオが他のお客さんと話している声が聞こえ、マスク越しでも笑顔なのがわかる人の良さそうな下がった目尻が見えると胸が懐かしさでいっぱいになりました。お客さんの会計を終え、私を見つけたモリシオはそんな昔と変わらぬ笑顔と少し高めの声で「Hey Noriko〜」といつも通りに話しかけてきます。コロナ禍で2年近く会っていなかったことも、私が今は日本に住んでいることも一応はわかっているはずなのですが、モリシオは毎度こんな具合に前回会ったのが昨日だろうが先月だろうが2年前だろうが関係なく昨日の続きを紡ぐ様にいつも通りに話しかけて来るのです。

一緒に仕事をしていた頃の忙しかった日々を懐かしみ、近況を報告し合い、お互いの家族の息災を喜んで何度もハグをし・・・とこの2年を埋める様にたくさんお喋りをしました。

息つく間もないほど忙しかった日々がコロナ禍で突然暇になってしまったことはルート66の廃線を経験しているエンジェルさんにとってはなんでもないことらしく、むしろ家族と過ごせる時間が増えたことを心から喜び、最近は奥様のビルマさんと一緒に料理をするのが目下の楽しみと聞かせてくれました。モリシオが「時々聞こえてくるエンジェルとビルマの皿洗いについての口喧嘩を聞くのがとても微笑ましくて楽しいんだ」と言うので「どこが微笑ましいの?」と聞き返したら「僕が洗うから君は休んでなさいとエンジェルが言うとビルマが私が洗うからあなたは座っててって返すんだよ、微笑ましいだろ?」と言うので思わず笑ってしまいました。

楽しい話は尽きず名残惜しかったのですが、予定が詰まっていたこともありそろそろお店を出るよと言うとモリシオがもう一度ハグをしてくれました。今回の旅の最後に再度セリグマンを通過する予定にしていたので、その時に必ず立ち寄る約束をしてお店に別れを告げました。

エンジェルさんのギフトショップ周辺

30分ほどの滞在予定が1時間半近く遊んでしまったセリグマン。目的地のベアリゾナで人と待ち合わせているので少々焦りを感じつつもまだ撮りたい写真が少しあったので、出発前にエンジェルさんのギフトショップの周りをサクッとお散歩します。

まずはこの味わいマックスな壁画。

最近のセリグマンについて最も多く尋ねられる質問がこの壁画がどこにあるか?です。わかります。かっこいいですもんね、この壁画。

グローサリーショップの昔ながらの看板とボロボロの車とのコントラストが完璧で、SNSなどで目にしたら絶対に行きたい!となってしまうそんなこの壁、実はエンジェルさんのお店の斜め向かいにあります。写真で見るよりもう少しカサついた見た目というか実際の色より写真に撮った方が鮮やかさが増すという悩ましい壁であり、スマホの機種やカメラの設定によって出てくる色味はバラバラです。自分好みの一枚というか唯一無二の一枚が撮れてしまう、そんな魅惑の壁です。

こちらはエンジェルさんのお店の隣にある「カッパーカート(Copper Cart)」というギフトショップ。ビンテージカーやビンテージバイクが所狭しと飾られていて、Motoporiumという名前に導かれるようにルート66を旅するバイカーさんたちの憩いの場になっています。飾られているビンテージバイクの中には売り物も混ざっているようで、興味があればオーナーさんに試しに声をかけてみると売ってくれることもあるようです。ちなみにオーナーさんは車やバイクの整備士なので、旅の途中でトラブルがあった時も頼りになる存在。見に行ったことはないのですが店の裏側に小さなリペアショップがあるそうです。

お店の壁面にはガラガラ蛇にロードランナー(鳥)、マウンテンライオンにエルク鹿と、この先に控えるグランドキャニオンエリアに多く生息する動物たちが描かれています。ネイティブアメリカンの姿やこの辺り一体の大自然がのびのび描かれた素敵な絵です。

そして地面に埋められたバイクと奥には集うバイカーさんたち。

センスがいいかどうかや好きか嫌いかはさておき、白の黒抜きも黒の白抜きも頑張ったんだろうなーと微笑ましくなる柱。ペイントした木がコンクリートの柱に打ち付けてあって、なんとも言えない無骨さがたまりません。

さらにお隣には「セリグマンサンドリーズ(Seligman Sundries)」という雑貨屋兼コーヒーショップがあります。カラフルな建物も突き刺さった飛行機も横の壁のボロボロの星条旗も昔のままです。実は私ここでコーヒーを飲んだことが一度もないのですが・・・・Goumet Coffee(グルメコーヒー)とあるけれど本当に美味しいのかな。

セリグマン出発

紺碧と青碧とが混じりあったようなこの深い「あおいろ」は澄んだ空気と乾燥、そして強い日差しがあるからこそ見えるもので、とてもグランドサークルらしいと感じられる自分の中で一番好きな空の色です。ラスベガス空港に降り立ってから一晩経ち、なんとなく夢見心地のまま辿り着いたセリグマン。ラスベガスに帰ってきたことにも走り慣れたUS93やI-40を運転していることにもいまいち現実味がないままに到着したのですが、この空を見た瞬間に喜びが強烈なリアルとして胸に押し寄せて全てが現実と確信できました。

今日はきっと素晴らしい日になると予感できたアリゾナの空。ついつい長居をしてしまったセリグマンに別れを告げて、目的地「べアリゾナ」へ向かって出発です。

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